「 日々是修行也 」

~ 修行が足りぬ男の あいも変わらぬ日常 ~
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絶品である!

過日、あるうどん店を訪れた。



暖簾をくぐって店内を見回すと、田舎の素朴さを感じながらも
かなりの歴史を醸し出すヴィジュアルに圧倒される。
お茶とおしぼりを持ってきてくれた店員さんに
10年来通う常連客のごとく「ころうどん」と、落ち着いた声で注文。


しばらくすると、抹茶茶碗ほどの大きさの器に入ったものが
小鉢に入った麺つゆとともに運ばれてくる。
抹茶茶碗の中身はというと…蕎麦なのだ。
注文した記憶は無い。いわゆる“お通し”というわけだ。ありがたくいただく。
およそ“そうめん〜細めのうどん”といった感じの、個性的な麺の太さが素晴らしい。
もちろん麺のゆであがり具合も、一本一本がヴァリエーション豊かで
それぞれが、クタクタ〜アルデンテの一歩手前という絶妙なかたさである。
フルエながら完食すると、器の底に残っているのは水だ。
ザルソバではないゆえ、蕎麦の表面に残っていた水分が溜まっているのだ。
これにより蕎麦のコシを打ち砕こうという、心憎い配慮だ。

そしていよいよ注文の品が運ばれてくる。
これまた大きめの抹茶茶碗といった風情の器に、先ほどの蕎麦のごとく
様々な太さというよりは様々な形状の麺が入ったものである。
よく観察したならば、これが“ころうどん”として提供されたことが想像できるであろう。
この器とは別に麺つゆの器が添えられる。
通常は太くてシコシコのうどん麺に、冷たいつゆがかけられて提供されるのだが
意外性を持ってころうどんを演出する、店主の計らいがうれしい。
そして何と…ライスと、浅漬けのキュウリに醤油をぶっかけたものが付いてくる。
これまた注文した記憶は無いが、ありがたくいただく。

つまり「ころうどん」と一言口に出せば
“どんぶり蕎麦/冷たいうどん状のもの/ご飯/浅漬けキュウリ”が提供されるわけである。
さらに、ころうどんとともに、そば湯が出される点にも注目すべきだ。
うどんにそば湯とは、なんという粋な計らいであろう。

店主に感謝しつつ、ころうどんに箸をつける。
細い麺は、昨夜の残りの冷や麦のごとくソフトで、消化によさそうである。
胃の負担を軽くしようという意図が汲んで取れよう。
太い麺はといえば、通常のころうどんの麺と見せかけて、その中心には
味噌煮込み麺がごとく、存在感のある堅い部分を残すという神業でせめてくる。
こんなにも色彩豊かな麺がかつて存在したであろうか。

ダブル炭水化物のもう一方、ごはんもいただいてみる。
そのべちゃべちゃ感は、雨上がりの小学校の校庭を思い起こさせ
食べる人を、昔日の思い出の中へと誘う。郷愁飯と呼んでもいいであろう。
ときおり口に運ぶ浅漬けキュウリは、無造作にかけられた醤油とあいまって
高血圧の人間にはたまらない塩分で口中を満たしてくれる。

ちなみに、今回そば湯はいただいていない。
余りの感動で、手が出せなかったのだ。



「あまりの感激で、もう口にはいりません」ということを表現したくて
器の底にメッセージうどんを少しだけ置いてきた。
ヒヤムギ状の細い麺だけを残して、感動に震える繊細な心情を描いたつもりである。

ころうどんの900円也を支払って、店を後にした。









「ふざけんなコノヤロウ!」と
 大暴れする客はいないのだろうか???

 
 
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岡山ライヴ終了!

もうね。
4月21日の、名古屋ライヴでもステージ上で言ったけど
ヨボヨボになるまで演るのだ
そんな姿は見たくないと言われるかも知れんが
こっちにはこっちの事情も理由もあるけんねわはははは

     top20120504.jpeg

写真は、演奏直後の“お客様写真撮影会”(笑)の我々4人。
撮ってくださったのは、なんと九州からわざわざ来てくださったお客様なのだ
こんなアマチュアバンドがあってもいいものだろうか
本当に、本当にありがたく思う
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